もっとも優れた機能を備え、 もっとも美しい時計を作らねば

戦火の中でも1791年、ブレゲはイクエーション・オブ・タイム(均時差表示)を考案。新機構の発明に没頭していたある日、幽閉されていたアントワネットからの使者が訪れます。最初に納めたリピーターが王宮襲撃の際に奪われ、新しい時計を注文したい、とのことでした。こうして、ブレゲはシンプルなリピーターを作り上げました。その音色は、囚われの身となった王妃をどれほど癒したことでしょうか。

ルイ16世が処刑された1793年、ブレゲはとうとうスイスへの帰国を余儀なくされます。そして同年秋、王妃アントワネットが断頭台で処刑されたニュースを知ります。ユグノー(改革派教会)の血を引くブレゲにとって、貴族の贅沢な生活は反感の対象でした。しかし同時に、大切な顧客でもあったのです。

そんな矛盾に満ちた貴族との関係を象徴するのが、王妃マリー・アントワネットとの交流だったに違いありません。王妃の死に涙しながら、ブレゲは誓います。「約束した“最高の時計”は、必ず完成してみせます」と。「NO.160」に組み込むことを最終目標に、ブレゲは故郷のスイ スで次々と新機構を考案していきました。重力の影響を均等化して精度安定を図るトゥールビヨン、姿勢差の少ないブレゲヒゲ、永久カレンダー、レバー式シリンダー脱進機など、膨大な発明は機械式時計の原理の約%70にものぼるといわれます。

2年間のスイス生活を経て、1795年にブレゲは再びパリの地へ。1802年には「NO.160」も一応の完成を迎えました。ですが、その後も新しい機構を発明するたびに、改良を加えました。「自分の生涯のすべてを、この一個の懐中時計に注ぎたい」。王妃との思い出は熱い情熱となってブレゲを突き動かし、その遺志は息子や弟子に受け継がれました。そして「NO.160」が完成へと至ったのは1827年。ブレゲが76歳で亡くなった、4年後のことでした。
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